公開日: 2021-02-19 最終更新日: 2021-07-10
【歴史】【史跡】
江戸時代の藩校「甘棠館」の跡地
江戸時代、1784年に当時の黒田藩は藩士の教育機関として学問所を2つ作りました。西学問所「甘棠館(かんとうかん)」と東学問所「修猷館(しゅうゆうかん)」です。
甘棠館の館長は亀井南冥。亀井南冥は現在の福岡市西区姪浜町に町医者の長男として生まれました。黒田藩の儒学者兼医学者として登用され、15人扶持の士分となりました。同じ年の2月には、志賀島で発見された「漢委奴国王」と刻まれた金印を調べ、「金印辨」を著して金印が本物であることを鑑定するなど、名声を博しました。甘棠館では徂徠学(儒教古学の一つ)が教えられ、自由な校風の中、優秀な人材が育ちました。
その後、江戸幕府から「寛政異学の禁」が出され、新しい儒学である朱子学が幕府の官学となりました。甘棠館で教えられていた徂徠学は異学とされ、亀井南冥は職を追われてしまいました。さらに甘棠館が火災で焼失し、これを機に再建されることなく廃止となり15年の歴史を閉じました。
現在、甘棠館の名は唐人町商店街の中にある劇団ショーマンシップの本拠地「甘棠館Show劇場」に引き継がれています。
また、唐人町商店街の近くにある善龍寺の山門にかかる扁額は、亀井南冥の書によるものです。
ちなみに、もう一つの藩校である東学問所「修猷館」は甘棠館の東側にありました。現在の三井住友海上福岡赤坂ビル(福岡市中央区赤坂1-16-14)の前に東学問所跡の碑があります。修猷館は藩校を経て福岡県立修猷館高校として現在に至っています。
【協力】
郷土史研究家 空 賢司
施設名 | 西学問所(甘棠館)跡 |
種類 | 記念碑 |
住所 | 〒810-0063 福岡県福岡市中央区唐人町3-2 八橋神社横 |
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アクセス | 福岡市営地下鉄唐人町駅より徒歩約2分 |
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